ダイイチルビーの戦績・性格や特徴について徹底解説

キャラクター

記念すべきウマ娘プリティーダービー1.5周年時に初登場したダイイチルビー。
クルクルの縦ロールに、お嬢様のような気品感じるキャラデザに、どんな馬なのか気になった人もおおいでしょう。
この記事では、ウマ娘に新しく登場したダイイチルビーの情報についてまとめました。

ダイイチルビーの基本情報

ゲームアプリ「ウマ娘プリティーダービー」の1.5周年曲「Gaze on Me! 」のバックダンサーとして初登場したダイイチルビー。
まずはウマ娘の記念すべき日にデビューしたダイイチルビーの生まれ年などの基本情報について紹介します。

生まれ年

ダイイチルビーは北海道浦河町にある名門・荻伏牧場で1987年4月15日に誕生した牡馬です。
黒っぽさのある赤褐色が特徴的な黒鹿毛の毛色で、ウマ娘のキャラデザでも毛色が髪色に反映しています。
馬主さんの辻本春雄の冠名「ダイイチ」と「ルビー」を組み合わせて名付けられました。

両親

ダイイチルビーの父はトウキョウボーイ、母はハギノトップレディです。
父のトウキョウボーイは1976年度優駿賞年度代表に選出された最優秀4歳牡馬。
スピードに長けており「天馬」として評されていたほどです。
また、母のハギノトップレディは優秀な家系と評される「華麗なる一族」の血を継ぐ馬で、最優秀4歳牝馬となるなど、父同様スピードに優れた馬。
一流のスピード性能をもった配合は「夢の配合」といわれ、優秀な両親のもとに生まれたダイイチルビーは破格となる一億円で取引されました。
取引価格と名前の評価から「一億円牡馬」と呼ばれ期待を集めていましたが、脚に奇形があったダイイチルビー。
しかし、脚の奇形をものともしない動きの良さが調教師に見出され、無事に買い手がつきました。

ダイイチルビーと同世代の馬たち

華麗なる一族として大きな注目を集めていたダイイチルビー。
そんなダイイチルビーと同世代の馬たちにどのような仔達がいるのでしょうか。
こちらでは、ダイイチルビーと同世代の馬の中でも、ウマ娘に登場しているキャラクターをピックアップしました。

アイネスフウジン

1987年4月10日に北海道浦河町の中村牧場で生まれたアイネスフウジン。
ウマ娘ではサンバイザー、ピンク色の衣装でおなじみのそばかすが可愛らしいキャラクターです。
1990年の東京優駿の優勝馬で、JRA賞最優秀4歳牡馬・1989年のJRA賞最優秀3歳牡馬に選ばれるなど輝かしい功績を持っています。

イクノディクタス

 1987年4月16日生まれのイクノディクタス。
ウマ娘ではメガネで知的な雰囲気漂うキャラクターとして描かれています。
引退まで一度も故障せずに走り続けた馬で、その凄さから「鉄の女」と呼ばれました。
現役時代に走ったレースは中央競馬で51戦ということからも、彼女の凄さが伺えますよね。

ダイタクヘリオス

ダイタクヘリオスは、北海道平取町にある清水牧場1987年4月10日に誕生しました。
ウマ娘では青いメッシュが印象的なツインテールで、ギャルチックなキャラデザが印象的ですよね。
1991、1992年のマイルチャンピオンシップで優勝したダイタクヘリオスは、ニホンピロウイナー以来、2頭目の連覇を果たしました。

メジロパーマー

北海道伊達市のメジロ牧場にて、1987年3月21日に誕生したメジロパーマー。
ウマ娘ではポニーテールがトレードマークの頼れる姉御肌で、同世代のダイタクヘリオスと一緒にいるシチュエーションが多いです。
1992年には史上5頭目「春秋グランプリ制覇」(同一年の宝塚記念・有馬記念の2レースの勝利)を成し遂げました。

メジロマックイーン

メジロ牧場で1987年4月3日に生まれたメジロマックイーン。
実馬はグレーがかった美しい芦毛の毛色が特徴的で、ウマ娘でも薄紫の髪色が素敵なキャラクターとして人気があります。
GⅠ級のレースを4勝、重賞を9勝したりと好成績をおさめており、日本競馬で史上初の獲得総賞金10億円を達成しました。

メジロライアン

1987年4月11日にメジロ牧場で誕生したメジロライアン。
平成三強に代わる馬たちとして、1991年メジロマックイーン、ホワイトストーンとともに新三強と呼ばれました。

ダイイチルビーの主な戦績

ダイイチルビーの主な戦績は以下のとおりです。

1991年

  • 安田記念(Ⅰ)1着
  • スプリンターズステークス(Ⅰ)1着
  • 京王杯スプリングカップ(Ⅱ)1着
  • 京都牝馬特別(Ⅲ)1着

ダイイチルビーのこれまで

華麗なる一族として生まれたダイイチルビーですが、競走馬としてデビューしてからの人生はどのようなドラマがあったのでしょうか。

こちらでは、ダイイチルビーのデビューしてから引退までのストーリーを紹介します。

4歳 

遅めの4歳でデビュー戦に挑む

ダイイチルビーのデビューは1990年の4歳を迎えた年となり、3歳が一般的なデビュー年とは一年遅れてのスタートとなります。
これは、生まれつきにあった脚の奇形を見た調教師の判断によるものです。
「3歳で使ったら間違いなく壊れるので4歳まで辛抱してくれ」という言葉に、調教師のダイイチルビーへの愛情が感じられます。
阪神競馬場で開催された新馬戦に挑戦したダイイチルビーは、5馬身差をつけた見事な勝利をおさめます。
その後、桜花賞を目指しトライアル戦に挑戦したダイイチルビーですが、残念ながら抽選落ちという結果に。

桜花賞への出走願うも残念桜花賞に挑戦

3月24日に中山競馬場で開催されたアネモネ賞に出走したダイイチルビー。
2着に2馬身差をつけて勝利したダイイチルビーは、2戦2勝という素晴らしい成績を引っさげて桜花賞に登録します。
出走への期待の声も上がっていましたが、残念ながらまたしても抽選落ちという結果に。
あと一歩のところで二度もチャンスを逃してしまったダイイチルビーは、「残念桜花賞」と呼ばれていた忘れな草賞に挑戦します。
一番人気と期待を集めていましたが、惜しくも2着。
このレース出走後は、桜花賞からオークスに目標を切り替え関東に遠征することとなりました。

オークスの優先出走権を得て目標へと挑む

4月29日東京競馬場で開催されたサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別に出走したダイイチルビー。
1番人気ではありましたが1着のキョウエイタップに、わずかクビ差で及ばず2着という結果に。
しかし、このレースで目標であったオークス優先出走権を確保し、満を持して5月20日に開催されるオークスに挑戦しました。
2番人気となったダイイチルビーでしたが、結果は5着で6馬身以上も離されてしまう結果に。
10月21日に開催されたローズステークスで2馬身以上差をつけられて5着と、その後も振るわない結果が続くダイイチルビー。
周囲からは「それでも華麗なる一族の娘か」「しょせん親の七光り」といった声が聞かれるようになります。

右後脚にフレグモーネを発症

ローズステークスから2ヶ月後、右後脚にフレグモーネを発症してしまうダイイチルビー。
この病は四肢の皮下組織に発症する急性の化膿性炎症で、進行が早く一晩で腫れあがってしまうこともあるそうです。
ローズステークスでエリザベス女王杯への優先出走権を獲得していましたが、これにより回避、さらに年内全て休むことに。
調教師は「この馬は1600mまでがベスト」という結論を下します。

5歳

復帰戦に選んだのは洛陽ステークス

ダイイチルビーが復帰戦として選んだのは、1月7日に開催された洛陽ステークス。
スタートで出遅れたものの、後半で見事な追い上げをみせました。
しかし、1着となったプリティハットに半馬身届かず2着に落ち着きます。
これまで先行だと思われていたダイイチルビー。
本レースの見事な追い上げにより、後方からの末脚一気が得意な追込馬だったっことが判明しました。

京都牝馬特別にて重賞初勝利

復帰戦でまずまずの結果をみせたダイイチルビーは、1月27日に開催された京都牝馬特別に挑戦します。
3番人気で始まったレースですが、ダイイチルビーは見事に重賞初勝利をあげます。
その後、勢いづいたダイイチルビーは2月24日に開催された中山牝馬ステークスに1番人気で挑戦するも3着という結果に。
再び関東に遠征したダイイチルビーは、4月21日に開催された京王杯スプリングカップで勝利をおさめ、重賞2勝目をあげました。
ちなみに、この年の京王杯スプリングカップではウマ娘にも登場済みのバンブーメモリー、ダイタクヘリオス、イクノディクタスなどの面々なるメンバーが出走しています。

史上初の牝馬による安田記念制覇

ダイイチルビーは5月12日に開催された安田記念に出走します。
1番人気にバンブーメモリー、10番人気にダイタクヘリオスなどが揃う中で、ダイイチルビーは2番人気に支持されました。
安田記念はグレード制が導入されてから牝馬の優勝が一度もない中の2番人気なので、どれほどダイイチルビーが注目されているのかがわかりますよね。
結果は、見事優勝、史上初の牝馬による安田記念制覇を成し遂げました。

華麗なる一族がこぞって勝利する高松宮杯に挑戦

安田記念制覇で勢いづいたダイイチルビーは、7月7日に中京競馬場にて開催された高松宮杯に挑みます。
高松宮杯は彼女の苦手とする距離だったものの、華麗なる一族が挙って優勝している特別な重賞ということもあり出走することに。
1番人気の支持を集めたダイイチルビーでしたが、結果は2着となり母仔3代制覇は逃します。
しかし、苦手な距離であったのにも関わらず写真判定の末のハナ差の2着という結果は、大健闘したといえるでしょう。

ダイタクヘリオスとの相思相愛説が浮上

10月26日に開催されたスワンステークスに出走したダイイチルビー。
ケイエスミラクルとともに日本レコードで走破していたダイイチルビーですが、ケイエスミラクルにわずかに及ばずクビ差の2着となりました。
その後、11月17日に彼女が目標としていたマイルチャンピオンシップに出走。
1番人気だったもののダイタクヘリオスに破れ2着という結果となり、ダイイチルビーは3連続2着となりました。
この頃、ダイイチルビーはダイタクヘリオスと相思相愛なのではという噂が流れました。
ルビー陣営としては格下と考えている相手との恋仲などの噂は好ましくなく、立場をハッキリさせようと挑んでいたレースで惨敗したのです。

スプリンターズSにて勝利

12月15日に開催されたスプリンターズSに2番人気で出走したダイイチルビー。
1番人気はケイエスミラクルとなっていましたが、残り200mの所で故障が発生してしまい競走を中止してしまいます。
失速するケイエスミラクスの外を交わし走り続けたダイイチルビーは、内側の先頭勢を差し切り見事勝利しレースレコードを更新しました。
当時、牝馬が牡牝混合のGⅠレースを2勝したのは史上初の快挙で、牝馬の歴代最高記録の賞金額を更新しました。
さらに、ダイイチルビーは最優秀5歳以上牝馬・最優秀スプリンターを受賞しました。

6歳

現役続行も母親らしい顔を見せる

6歳になったダイイチルビーは現役続行を選択します。
しかし、フケ(発情)が出ていたりと、母親になりたがっている様子があったようです。
そんなダイイチルビーの表情には競走馬のような闘志はなく、優しい顔となっていきました。

いくつかのレースに出走するも振るわない結果に

優しい表情へと変化していったダイイチルビーですが、現役続行したこともありいくつかのレースに出走します。
しかし、マイラーズC1番人気6着、京王杯スプリングC1番人気5着、安田記念4番人気15着といずれも振るわない結果となります。

恋の行方は何処へ

人気馬が予後不良となったレースで勝利した馬がその後のレースで不振に陥る例は少なくありません。
ダイイチルビーもその一頭で、昨年出走したスプリンターズSにてケイエスミラクルは予後不良。そのレース以降のダイイチルビーの成績は不振となっています。
もし仮にケイエスミラクルの予後不良が原因で走る気をなくしてしまったのであれば、ダイイチルビーが本当に恋をしていたのではケイエスミラクルだったのではと考えている人もいます。
6歳は高松宮記念三代同一重賞優勝を目標にしていたダイイチルビーでしたが、それを待たずして引退することになりました。

繁殖牝馬時代

ダイイチルビーのための牧場が開設される

予定より現役を退いたダイイチルビーは、故郷の北海道に戻ります。
馬主はダイイチルビーのため北海道三石町にダイイチ牧場を開設し、彼女の繁殖牝馬としての生活がスタートしました。
7頭の仔を残したダイイチルビーでしたが、2007年4月26日蹄葉炎のため20歳でこの世を去ることになります。

まとめ

まるで少女漫画のようなドラマティックな人生を歩んだダイイチルビー。
華麗なる一族として誕生した彼女には、様々なプレッシャーや葛藤があったのかもしれません。
ウマ娘ではまだ実装されていませんが、今後実装されたらぜひゲットしたいものです。

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