【ウマ娘キャラ解説】アドマイヤベガをまるっと紹介

ウマ娘

物静かな雰囲気が魅力的なアドマイヤベガ。YouTube配信のアニメでは主要人物としてレースの様子などが素敵に描かれており気になっている人もいるのではないでしょうか。そんなアヤベには競走馬としての戦績だけでなく色々なエピソードが秘められています。今回は、クールな印象のアドマイヤベガの性格や生い立ちなどをまるっと解説します。

アドマイヤベガとはどんな馬?

競走馬として活躍していたアドマイヤベガはどんな馬だったのでしょうか。まずは、誕生日などの基本的な情報を紹介します。

基本データ

アドマイヤベガの誕生日などの基本情報をまとめました。

誕生日1996.3.12
性別牡馬
毛色鹿毛
馬主近藤利一
調教師橋田満(栗東)
両親父:サンデーサイレンス母:ベガ

アドマイヤベガはクラシック二冠達成・JRA賞最優秀4歳牝馬に選出するなどの活躍を見せた競走馬ベガの初めての仔です。北海道早来町のノーザンファームにて誕生したアヤベは乳飲みが上手く、また母も授乳が上手だったこともあり愛情をもって育てられていたと考えられます。

実は双子ちゃんだったアドマイヤベガ

YouTube配信のアニメでも描写があるので気づいている人もいるかもしれませんが、実はアドマイヤベガは双子でした。しかし、競馬界では「双子は大成しない」とされており、出産まで双子妊娠中は母体に無理がかかり平均レベルの成長が難しいことや、小さく生まれてくるため強くならないことなど理由があるものの、悲しいですよね。作中でアヤベが背負っている影もこうしたエピソードがモチーフとなっています。

メジロアルダンも実は双子だったよ。しかし、残念なことに死産しています。

名前の由来

アドマイヤベガの名前は、冠名の「アドマイヤ」と母の名前「ベガ」を組み合わせたもの。アヤベの馬主・近藤利一は元々母であるベガに惚れ込んでいました。桜花賞直前というタイミングで「レース前に1億円で譲ってほしい」と要求するほど。しかし、馬主の息子はやんわりと断ります。

すると、諦めきれなかった近藤利一は「それならベガの仔を私に売ってください。約束ですよ。」と交渉。アヤベの名前にはそんな、馬主のベガへの強い想いがこめられています。

性格

・仔馬時代は手間のかからなかった

・メリハリのきく頭の良さ

・父の特性を引き継ぎ気性は荒く、暴れだすと人間では制御できないほど

・レース当日のパドック周回では「二人引き」をしていた。

アドマイヤベガは幼い時こそ手間のかからないいい子でしたが、年齢を重ねるごとに父・サンデーサイレンスの気性の荒さが目立つようになってきます。調教はほかの馬がいない時間帯に行われていたことからも、気性の激しさが伺えます。そんな、気性難のアヤベですがバナナが大好物で、バナナを房から切り離す音だけで走り寄ってくるという可愛いエピソードもあります。

二人引きとは名前のとおり、馬の左右両側に人がついて引くことをいいます。蹴り癖がある仔や気性が荒い仔によく見られるよ

アドマイヤベガと「6」

アドマイヤベガは「6」に縁がある馬としても知られています。(かなりマイナー情報ではありますが…)1999年の日本ダービーでアドマイヤベガは見事勝利したのですが、その開催日はなんと6月6日。それだけだと「ほかの馬だって6と縁があると言えるんじゃ…」と思いますよね。違うんです。アドマイヤベガはその日本ダービーの最終追切1本目のタイムがなんと「66秒6」。さらにさらに!担当騎手の武豊の騎手コードも「666」。

ほかにも皐月賞は6着と6との縁がある馬だったのです。

二つ名

調査したところ実馬としての二つ名はアドマイヤベガにはありませんでした。しかし、スマホ向けゲームアプリ「ウマ娘プリティーダービー」内のキャラクターには「煌めく一等星」という二つ名がつけられています。

この二つ名の獲得条件は、1番人気で1番人気で皐月賞・日本ダービー・宝塚記念を勝利すること。さらに、テイエムオペラオー・ナリタトップロード・メイショウドトウにそれぞれ3回以上勝利することが必要です。難易度はそこそこ高めですが、アヤベ好きの人はぜひ挑戦してみてくださいね。

ウマ娘との関係性

現在キャラクターとして実装されているウマ娘には、アヤベと関係がある仔がたくさんいます。とくに、アヤベの父・サンデーサイレンスは大種牡馬だったこともあり、兄弟が多いです。

同じパパのウマ娘

  • アグネスタキオン
  • エアシャカール
  • スペシャルウィーク
  • ネオユニヴァース
  • マーベラスサンデー

同世代のウマ娘

  • テイエムオペラオー
  • ナリタトップロード
  • ハルウララ
  • メイショウドトウ

アドマイヤベガの活躍

成績まとめ

アドマイヤベガの競走馬としての活躍をまとめました!

生涯成績8戦4勝(内GⅠ1勝)
獲得賞金2億9060万2000円
勝ち鞍1998ラジオたんぱ杯3歳ステークス(Ⅲ)1999東京優駿(ダービー)(Ⅰ)京都新聞杯(Ⅱ)

活躍について

幼駒時代

アドマイヤベガは大種牡馬の父サンデーサイレンスと牝馬クラシック二冠を達成した母ベガ、さらに母父に凱旋門賞優勝馬のトニービンがいる超一流血統の馬として誕生しました。母のベガと同じく前脚が曲がっており、小ぶりで華奢な子です。

お世辞にも美しいとは言えなかったベガ(お母さん)とは違い、眉目秀麗なイケメンだったアドマイヤベガ。一流血統ということもあり期待値は高かったですが「とにかく平凡な普通の馬」と少し悲しいレッテルを貼られてしまいます。しかし、乗り味の良さはピカイチで、擦り傷を1つもつくらない姿はアヤベが優秀だからこそではないでしょうか。

2歳

デビュー戦(1998.11.7京都):1番人気4着

アドマイヤベガが競走馬としてデビューしたのは1998年のこと。1番人気と多くの期待を集めて出走しましたが、最後の直線で斜行し4着となりました。鞍上はおなじみ武豊騎手が担当。

実は、デビュー戦の前週にサイレンススズカを事故で失っており、そのショックがあったのではないかといわれています。アニメでも再現されているので、ぜひ1期を見てみてください

サイレンススズカの事故は1998年の天皇賞(秋)で、通称「沈黙の日曜日」といわれているよ。アニメ1期でも再現されており、涙なしでは見れないので要チェックです!

エリカ賞(500万下)(1998.12.5阪神):1番人気1着

デビュー戦は期待を裏切ってしまう形となってしまったアヤベ。次に挑戦したのが本レースです。レース結果を考慮すると未勝利戦が妥当だと思われますが、これは今後のローテーションを考慮したものです。再び1番人気と周りからの注目を集めたアヤベでしたが、期待に応えるように強烈な末脚で快勝します。

ローテーションとは出走から次の出生までの間隔のことをいうよ

ラジオたんぱ杯3歳S(Ⅲ)(1998.12.26阪神):1番人気1着

格上のレースながら見事勝利を収めた絶好調のアヤベが次走として選んだのがラジオたんぱ杯3歳S(Ⅲ)。ノリに乗ったアヤベは最終コーナーで大外から末脚を発揮します。先行で走る馬たちを全て差し切り半馬身差をつけて重賞初勝利を決めました。

4歳

1998年のレースでは中々の好成績を残したアヤベは、関東へ遠征をします。初めての遠征だったこともあり中山競馬場に移動してからは一時期食欲不振に陥ってしまいます。

この不調が今年度のレースにどう響くのか…ドキドキしながら続きを読んでくださいね!

弥生賞(Ⅱ)(1999.3.7中山):1番人気2着

1999年にアヤベが出生した弥生賞は、YouTube配信アニメ「ウマ娘プリティーダービー ROAD TO THE TOP」の記念すべき1話で再現されたレースです。アヤベ1番人気、ナリタトップロード2番人気で始まった本レースでは、アヤベお得意の末脚を直線で発揮し大外からほとんどの馬を差し切る胸アツ展開に…。

しかし、トプロに一歩届かず1馬身差の2着に落ち着きます。しかし、皐月賞の優先出走権は獲得できたので、アヤベは皐月賞に向けて調整をはじめます。…が、栗東で再び食欲不振になりさらには体温も不安定に。本拠地での不調の原因は不明とされており、あまりの不調に皐月賞回避の選択肢もありましたが、結果的に出走を強行しました。

皐月賞(Ⅰ)(1999.4.18中山):1番人気6着

YouTube配信アニメ2話で放送された皐月賞では、アヤベ(1番人気)のほかトプロ(2番人気)とテイエムオペラオー(5番人気)が出走します。人気だけでいうとアヤベとトプロが「二強」状態だったのですが、テイエムオペラオーに軍配が上がりました。

アヤベは弥生賞と同じく大外からの追い上げをたくらみ、徐々に外に持ち出したのですが、後方にいたオペラオーに大外を使われてしまったのです。進路を失ってしまったアヤベは先頭争いに加わることができないまま、先頭集団から3馬身以上後れを取る6着という不甲斐ない結果に…。

アヤベ陣営は体調不良が敗因と捉えて調教よりも、目標の日本ダービーに向けて1か月で体調を本調子に戻そうしました。

東京優駿(ダービー)(Ⅰ)(1999.6.6東京):2番人気1着

悔しい結果となってしまった皐月賞から1か月弱に挑んだダービー戦。活躍をみせていたトプロが1番人気、オペラオーが3番人気でスタートします。前回の結果を見ると人気が落ちるのかと思われましたが、弥生賞と同じくらいの馬体重を実現したことによりオッズがあがりました。

第3コーナーからオペラオーが上がり、それをトプロが外から捕まえに掛かっているのを、アヤベは後方の15番手で待機して参加しませんでした。

待機状態のアヤベが勝負を仕掛けたのは最終コーナー。最内から大外に持ち出し、怒涛の追い上げを魅せます。先頭はアヤベ・トプロ・オペラオーの三者の一歩も譲らずデットヒートを続けまいた。

しかし、最終的にはアヤベの末脚が2頭をまとめて差し切り見事に勝利!レースレコードタイで走破する結果となり、史上7頭目の母仔でのクラシック優勝を決めます。

その後、夏は故郷で休養し秋に向けて体調を整えることとなりました。

鞍上の武豊騎手は前年にスペシャルウィークでダービーを制覇していて、本レースで史上初のダービー連覇を決めたよ。調教師・馬主共に初のダービー制覇ということもあり、アヤベにとっては思い出深いレースになったといえるよね。

京都新聞杯(Ⅱ)(1999.10.17京都):2番人気1着

京都新聞杯では、1番人気トプロと出走。いつも通り後方で待機するアヤベでしたが進路が中々見つからず、大外に持ち出してスパートをかけました。苦戦を強いられるレースかと思われましたが、そのまま全てを交わして勝利します。

ゴール前では武豊騎手が手綱を緩める余裕を見せて入線し、重賞3勝目を決めました。

武豊氏はこのレースを「最悪とも言える展開になって、それでも余裕を持って差し切れたというのはやはり自信につながりますね。菊花賞で、あれ以上の悪い形になることはないでしょうから」と語っているよ

菊花賞(Ⅰ)(1999.11.7京都):1番人気6着

菊花賞ではアヤベとトプロ(3番人気)、オペラオー(2番人気)が再び揃い出走。逃げ馬が続々と回避したためスローペースになると目されたレース。追い込みのアヤベにとっては不利な条件となってしまいます。

外側を追走するアヤベは余計な距離を走ることとなり逆転の難しい展開。さらに、他の馬からのマークも厳しく前に出ることが中々できませんでした。仕方なく最終コーナーで大外からスパートをかけますが不利な条件が重なったアヤベは先頭に届くことができず、6着という大敗となります。

3者譲らないレースを繰り返した1999年でしたが、この年のJRA賞最優秀4歳牡馬はテイエムオペラオーが選ばれました。

このレース後アヤベは、福島県いわき市の競走馬総合研究常盤支所「馬の温泉」や宮城県山本町の山元トレーニングセンターで休養するよ

5歳

昨年、奮闘するも体調不良を繰り返していたアヤベ。春の宝塚を目標に調整していましたが、今年も体調不良が続いてしまいます。出走できないまま夏が来てしまい、秋のオールカマー復帰・天秋やジャパンカップの参戦を目指すこととなります。

しかし、2000年7月31日の調教中に左前脚繋靭帯炎を発症し、即日引退が決定してしまいました。

個人的にはトプロとオペラオーとのレースがもっと見たかったので凄く悔しいです…

種牡馬時代

ケガにより引退となってしまったアヤベは、総額12億円のシンジケートが結成されて北海道早来町の社台スタリオンステーションで種牡馬として供用されました。初年度から145頭、2年目に183頭、3年目に161頭、4年目に176頭の繁殖牝馬を集めた。初年度で生まれたファーストクロップは2004年にデビューを果たし、重賞初勝利、レビュー年度から勝ち上がりが続く快進撃を魅せました。その結果、アヤベはサンデーサイレンスの後継者争いに名乗りあげることとなります。

しかし、何かのいたずらかファーストクロップのデビュー年0月28日に疝痛を発症し次第に悪化、病院に運ばれましたが天国へと旅立ってしまいます。死因は偶発性胃破裂だったそうです。アヤベの子孫たちは多彩な個性で活躍をみせていたので、早世が惜しまれました。

天国のアヤベにメッセージ

惜しまれながら天国へ旅立ったアヤベ。そんなアヤベに素敵な贈り物があります。それは2年目産駒であるキストゥヘヴン。アヤベ亡き後、競走馬としてデビューした馬で、天国にいるアヤベに向けて「天国への口づけ」という意味を込めて命名されました。そんな素敵な名前をつけられたキストゥヘヴンは、2006年に桜花賞を制し、父母・父・娘の三大連続でクラシック優勝を達成し天国にいるアヤベに活躍する姿を見せてくれました。

知れば知るほど魅力的なアドマイヤベガ!YouTube配信アニメで彼女の活躍をチェックしよう

YouTube配信アニメ「ウマ娘プリティーダービー ROAD TO THE TOP」の主要キャラの一人として描かれているアドマイヤベガ。競走馬として大種牡馬としても活躍していただけに、度重なる体調不良が悔やまれます。アヤベの人生はドラマチックでもあり、少し悲しくもありますが、だからこそ周りを惹きつける魅力にあふれています。

アヤベの活躍を見たいひとは、ぜひYouTube配信アニメをチェックしてくださいね。

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