【ウマ娘キャラ解説】スペシャルウィークをまるっと紹介

ウマ娘

アニメ「ウマ娘プリティーダービー」第1期のメインを務めたスペシャルウィーク。彼女がメインを担当したのは、キャラの可愛さやエピソード、戦歴など様々な要因が隠されています。今回は、ウマ娘のキャラの中でも高い人気を誇るスペシャルウィークについて、性格や戦歴などまるっと解説します。

スペシャルウィークとはどんな馬?

基本データ

スペシャルウィークの誕生日などの基本情報をまとめました。

誕生日1995.5.2
性別牡馬
毛色黒鹿毛
馬主臼田浩義
調教師白井寿昭(栗東)
両親父:サンデーサイレンス母:キャンペンガール

スペシャルウィークが誕生したのはオーナー臼田浩義氏が運営している、北海道門別町の日高大洋牧場です。大種牡馬サンデーサイレンスの父と、怪我を理由に未出走ではあるものの名牝系シラオキ系に連なる良血を継いだキャンペンガールを母にもっています。母父にはウマ娘でもお馴染みのマルゼンスキーであることからも、彼女の競走馬としての才能が垣間見えます。

名前の由来

スペシャルウィークの名前は、「特別な週」という名前をそのまま英訳したものが由来となっています。競馬界においての特別な週とは「日本ダービー」のこと。日本ダービーで活躍する馬になってほしい願いを込めて付けられています。

スぺちゃんと日本ダービー

特別な週=日本ダービーで活躍する馬になってほしいという願いを込めてつけられたスペシャルウィーク。実は、スぺちゃんにはいくつかの日本ダービーにまつわるエピソードがあります。

一つ目は名棋士として有名な武豊にまつわるエピソード。武豊が初めて日本ダービー及びジャパンカップで勝利をしたのが、まさにスペシャルウィークだったのです。10度目の挑戦を経ての悲願達成なので、まさに名前のとおり日本ダービーで活躍をみせました。

実は武豊さんは幼少期よりダービー勝利を夢見ていたのですが、八大競争(桜花賞、皐月賞、オークス、菊花賞、天春、天秋)は全て勝利するものの日本ダービーのみを逃し続けていました。「武は日本ダービーだけは勝てない」というジンクスまで囁かれているなか、スペシャルウィークが武豊の夢を実現してくれたのです!

表向きは冷静に振舞っていた武豊さんですが「自分の今まで積み重ねた勝利すべてと引き換えにしてもいいと思うほど、ダービージョッキーの称号が欲しくて欲しくてたまらなかった」と語っています。

そんな彼の悲願を叶えてくれたのがまさに日本ダービーの申し子(?)スペシャルウィークだったのです。

さらに、スペシャルウィークの日本ダービーにまつわるエピソードはもう一つあります。スペシャルウィークがメインキャラとして登場するアニメ第1期の放送開始した時期、スぺちゃんは隠居ライフを送っていました。

そんな中、悲しいことにスペシャルウィークは天国へと旅立ちます。その亡くなる直前の回がまさに日本ダービーだったことから、X(Twitter)のトレンドワードに入るほど注目を集めました。

性格

・とても人懐っこい性格をしており、人間のようだと思わるほど

・言葉が通じているかのごとく、素直で従順(可愛すぎ!)

二つ名

スペシャルウィークの二つ名ですが、結論からいうと実馬にはありませんでした。

しかし!アニメ1期でメインと務めたこともあり、ゲームアプリ「ウマ娘プリティーダービー」では「日本の総大将」という二つ名がつけられています。獲得条件は、日本ダービーを一番人気かつ5馬身差以上で勝利し、天皇賞(春)・天皇賞(秋)・ジャパンカップを制覇するというものなので、気になる人はぜひ挑戦してみてくださいね。

同世代のウマ娘

  • エルコンドルパサー
  • キングヘイロー
  • グラスワンダー
  • セイウンスカイ
  • ツルマルツヨシ

夏アニメ「うまよん」の7月主題歌となっている「ぴょいっと♪はれるや!」を歌っているうまよんメンバーは、スぺちゃんのほかにウンス・キングヘイロー・エルコンドルパサー・グラスワンダーの同級生たちが勢ぞろいしています。ツルツルも入ってて欲しかったところですが、新キャラとして登場したのが後なので仕方ないですね…

いつか、ツルツルを入れた同級生メンバーで新曲リリースお願いします!(切実)

スペシャルウィークの活躍

成績まとめ

スペシャルウィークの競走馬としての活躍をまとめました!

生涯成績17戦10勝(内GⅠ4勝)
獲得賞金10億9262万3000円
勝ち鞍1998年
東京優駿(ダービー)(Ⅰ)
弥生賞(Ⅱ)京都新聞杯(Ⅱ)
きさらぎ賞(Ⅲ)
1999年
天皇賞(春)(Ⅰ)
天皇賞(秋)(Ⅰ)
ジャパンカップ(Ⅰ)
アメリカンジョッキークラブカップ(Ⅱ)
阪神大賞典(Ⅱ)

活躍について

幼駒時代

生みの親と育ての母

スペシャルウィークの生みの親・キャンペンガールは、スペシャルウィークを出産した5日後に亡くなっています。実は、スぺちゃん受胎中に疝痛の回数が増え獣医から腸の一部が壊死していると診断されていました。出産日となる5月2日に非常に苦しみ、もがき始めたためスタッフ総出でスぺちゃんを出産しました。

その後、育ての親として車両や農耕具を牽引する輓馬があてがわれたのですが、この育ての母さん気性が荒かったようです。スペシャルウィークを遠ざけようとすることもあり、慣れるまで乳母馬を動かないようにしてお乳を与えていました。

3日後にはある程度スペシャルウィークを受け入れる態度をとったので一安心

ひとり遊びが多いスぺ

スペシャルウィークは離乳する頃まで、ほかの馬たちとあまり行動することがありませんでした。どちらかというとひとりで遊ぶことが多い馬でした。

また、育ての親が気性が荒かったということもあり、人の手をかけて育てられています。

最終的にはお互いが慣れて本当の親子と変わらない生活をしていたという話もあるので、決して育ての母と仲が悪かったわけじゃないようです

スぺの素質に気づいた存在

スペシャルウィークは大抵の仔馬が嫌がる初めての馴致(競走馬として扱われることに慣れさせる訓練)も嫌がることはありませんでした。担当したニュージーランド出身のプライス・ティナさんの言うことを素直に聞き、彼女はスペシャルウィークに惚れ込んでいきます。素質が高いことを報告してはいましたが、大人しすぎる性格から信じてもらえず…。

5月にほかの牧場へ移動することになったスペシャルウィーク。9月まで一緒にいられると思っていたティナさんはほかの牧場に行くのが納得いかないと涙ながらに訴えたものの「この馬をもっと強くするため」と説得されてしまいました。

アニメに登場する育てのおかあちゃんが外国人のような見た目に描かれているのもティナさんのエピソードがあったからなのかなと感じます。さらに、ワイルドな感じは乳母馬の気性の荒さを表現しているのではと思います。

3歳

スペシャルウィークの初レースは1997年11月26日に阪神で開催された新馬戦のレース。武豊を鞍上に華々しくデビューしたスぺの単勝オッズは1.4倍と圧倒的1番人気でした。多くの人たちの注目を集める中、結果は2着に2馬身差の快勝し幸先良いスタートを切っています。

武豊はデビュー前から「この馬は走る」と確信していたそうです

4歳

白梅賞(500万下)(1998.1.6京都):1番人気2着

14番人気の地方馬にハナ差で敗れたものの好成績を収めました。スペシャルウィークの鞍上はデビュー戦と同じく武豊が務めています。

勝った地方馬の鞍上が武豊の弟・武幸四郎だったので「きさらぎ賞出られんやったやないか!」と怒ったとか。しかし、この結果でつばき賞を除外されることになりましたが、格上のきさらぎ賞に当選抽選で出馬できたので結果オーライだったといえます。

きさらぎ賞(Ⅲ)(1998.2.8京都):1番人気1着

新馬戦をのぞいてまだ1勝であるのにも関わらず。スペシャルウィークは1.7倍の1番人気。見事、2着に3馬身半差の勝利し、人気に恥じないレースを魅せました。

このレースが、スぺ初の重賞制覇となります。

弥生賞(Ⅱ)(1998.3.8中山):2番人気1着

弥生賞では、スぺのほかキングヘイロー、セイウンスカイが参戦。

1番人気キングヘイロー、2番人気スぺ、3番人気ウンスと同級生メンバーが人気トップに鎮座しているのも熱いですよね。

この時、ウンスは2戦2勝を決めており、さらに良血として名高いキンヘという誰が勝ってもおかしくないレースでした。結果、スぺが2人を破って堂々の1着を決めています。

このレースはアニメ1期3話で再現されているので、ぜひチェックしてみてくださいね。

皐月賞(Ⅰ)(1998.4.19中山):1番人気3着

皐月賞でもウンスとキンヘが人気トップ3を独占しています。当時の中山競馬場は芝の保護のため馬場状態が枠によって違っていました。先行馬に有利なのは内枠で反対に、外枠は先行馬にとっては不利な馬場状態…。

運の悪かった先行馬のスぺは大外18番となってしまい実力が発揮できず、3着となりましたこちらのレースもアニメ1期4話で再現しています。

武豊はデビュー前から「この馬は走る」と確信していたそうです

日本ダービー(Ⅰ)(1998.6.7東京):1番人気1着

スペシャルウィークにとっても鞍上の武豊にとっても思い入れの深いレース「日本ダービー」。スぺが1番人気でスタートしたレース、逃げのキンヘが先頭、2番手にウンス、中団をスぺが走ります。残り200mで先頭のウンスを交わし差を広げ、なんと5馬身差で圧勝。見事、武豊を初めてダービーで勝たせた馬となりました。

例年であればダービー優勝馬が世代最強とみなされるのですが、当時の規定により外国産馬はクラシックレースに出走できなかったのです。そのため、同世代のグラスワンダーやエルコンドルパサーたちとは有馬記念・ジャパンカップなどで決着をつけられると思われていました。

念願のダービー勝利を果たした武豊さんは、興奮のあまり鞭を落としてしまったらしいよ

京都新聞杯(Ⅱ)(1998.10.18京都):1番人気1着

京都新聞杯では、お馴染みキングヘイローとの勝負。どちらも譲らず2頭並んだまま競り合う胸アツな展開の中、クビ差でスぺが勝利します。

菊花賞(Ⅰ)(1998.11.8京都):1番人気2着

キンヘとウンスの三つ巴戦。1番人気で始まったレースでしたが世界レコードのウンスの逃げを捉えることが出来ず、惜しくも2着。

このレースでウンスはクラシック2冠を達成したんだよ

ジャパンC(Ⅰ)(1998.11.29東京):1番人気3着

ジャパンカップに挑んだスぺに立ちふさがったのは、2番人気のエアグルーヴと3番人気のエルコンドルパサー。鞍上の武豊は騎乗停止処分中だったため岡部幸雄騎手が騎乗しました。岡部幸雄騎手はシンボリルドルフと3冠を達成したもの凄い人で大きな期待がもたれていましたが、直線でよれてしまい3着という結果となります。

勝利したエルコンドルパサー運営は「国内の馬との勝負付けは済んだ」とコメントを残し欧州に遠征。このレース結果から「スぺはエルより弱い」と汚名を着せられてしまうことに…。その後、エルは日本では出走しておらず雪辱は果たせないままとなってしまいます。

その後のスぺは有馬記念は回避します。また、本年のJRA賞最優秀4歳牡馬はエルが受賞しています。

5歳

アメリカジョッキークラブカップ(Ⅱ)(1999.1.24中山)

1番人気1着と5歳の年もスぺは絶好調。本レース前は調教の動きが悪く鞍上を担当したオリビエ・ペリエ氏が「本当にダービー馬なのか?」と心配するほどでした。

しかし、本番では3馬身差の快勝を成し遂げ、スぺのポテンシャルを感じさせるレースとなりました。

阪神大賞典(Ⅱ)(1999.3.21阪神):2番人気1着

快進撃は続き、阪神大賞典でも堂々の1着。ちなみに1番人気は由緒あるメジロ家のひとりメジロブライトで惜しくも2着となっています。

天皇賞(春)(Ⅰ)(1999.5.2京都):1番人気1着

1番人気のスぺ、2人気ウンス、3番人気メジロブライト、4番人気マチカネフクキタルとウマ娘でもお馴染みのキャラが集結したレース。前年覇者であるメジロブライトとの戦いとなりましたが、1/2馬身差で見事1着となります。

この頃に年内での引退と凱旋門賞挑戦を発表したよ

宝塚記念(Ⅰ)(1999.7.11阪神):1番人気2着

アニメ1期8話でも放送された注目のレースの1つである宝塚記念。2番人気グラス、5番人気キンヘ、8番人気マチカネフクキタルが出走しました。スぺにとって初めてのグラスとの対決で「二強対決」といわれるほどの注目ぶり。

最終コーナーに向けて加速を始めるスぺ。グラスを突き放し勝利を目指しましたが、直線に入って残り200m地点で捉えられてしまいます。結果はグラスに3馬身差をつけられ完敗。

さらにスぺにとって辛いのがグラスは体調不良が伝えられており、前走の安田記念で負けていたという事実でしょう。どう見てもスぺが有利なレースだったのにもかかわらず力負けしてしまったことで、世代ランクはエル>グラス>スぺといった構図になってしまいます。内国産馬は外国産馬に勝てないという印象を与えてしまう結果に…。

この敗戦を受け目標だった凱旋門賞遠征は立ち消えになってしまったよ

京都大賞典(Ⅱ)(1999.10.10京都):1番人気7着

スぺにとって唯一の掲示板外となる7着に終わってしまった悔しいレースです。最高体重で臨んだレースでしたが、最終コーナーを2番手で通過したものの直線で伸びずふがいない結果となりました。本レースでは、メジロブライト・テイエムオペラオー・ツルマルツヨシが出走しています。

天皇賞(秋)(Ⅰ)(1999.10.31京都):4番人気1着

「ダービー時の体重に近づければ本来の走りが戻ってくるかも」と考えた運営は、前走から-16kgほど身体を絞ります。1番人気セイウンスカイ、2番人気ツルマルツヨシ、3番人気メジロブライト、9番人気キングヘイローとお馴染みのメンバーが勢ぞろいする中出走。

後方からのレースから始まり、直線で一気に差し切りレコード勝ちを成し遂げます。

タマモクロスに続き史上2頭目となる同一年天皇賞春秋制覇を達成したよ

ジャパンC(Ⅰ)(1999.11.28東京):2番人気1着

凱旋門賞でエルを破って勝利したモンジューがまさかの参戦。アニメでは世界最強ウマ娘・ブロワイエとして登場しています。外国招待馬とのレースに注目を集めましたが、なんと!スぺちゃん完勝します。凱旋門賞2着という快挙を成し遂げたエルは引退しているので、結局雪辱は果たせないままなのが悔しいところ。

凱旋門賞でエルを破って勝利したモンジュー(アニメではブロワイエ)などの外国招待馬に完勝した。・次走の有馬記念が引退レースとなる。凱旋門賞2着という快挙を成し遂げたエルはすでに引退しており、雪辱を果たせないままになった。しかしジャパンCを回避したグラスが出走してきており、ここで勝たなければ世代三番手評価が確定してしまうため、陣営は並々ならぬ覚悟だった。

有馬記念(Ⅰ)(1999.12.26中山):2番人気2着

スぺの引退レースとなる有馬記念では、1番人気グラスワンダー、3番人気メジロブライト、4番人気ナリタトップロード、5番人気テイエムオペラオー、6番人気ツルマルツヨシとウマ娘メンバーが大集結!特にグラスに勝たなければ世代三番手評価が確定してしまうので、かなり大切なレースでした。

最後方の位置取りからグラスをマークして走るスぺ。スぺ・グラスが後方にいたこともあってレースはスローペースになりました。4コーナーで進出を始めたグラスをスぺはぴったりとマーク。坂を上って先頭に出たグラスを差し切るため、温存していた末脚を炸裂!しかし、強襲したところがゴールという展開…。

「そして外の方から、外の方から最強の二頭!やっぱり最後は二頭だったー!」と実況にも力が入る中、写真判定が始まります。両陣営関係者のほとんどがスぺが勝利したと思っています。実際、大勢はスぺが有利だったこともあって、鞍上の武豊はウイニングランへ向かいます。

しかし…幸運の女神はグラスに微笑みハナ4㎝差で勝利。その後、グラスと共にJRA賞特別賞が贈られています。このレースはアプリゲームのメインストーリー・最終章編でも語られているのでぜひ要チェックです。

この年のGⅠで3勝2着2回という成績を残したのに年度代表馬、最優秀古馬牡馬の座はエルに持っていかれちゃいます。しかし、同年エルは日本での出走はしておらず大論争に発展…。

6歳

競走馬として華々しくそして果敢に挑戦してきたスぺは、2000年1月5日に京都競馬場、翌6日に中山競馬場の2か所で引退式を行い、競走馬としての幕を閉じました。

種牡馬時代

引退後は北海道の社台スタリオンステーションにて繋養することになったスぺ。スぺの子孫である産駒たちは牝馬が強く、2005年日米オークス馬のシーザリオやGⅠ5勝のブエナビスタなどが活躍しています。ブルードメアサイヤー(母の父)としては、GⅠ馬を3頭輩出し、2019年には英国GⅠのナッソーステークスに優勝し、日本馬として史上2頭目のイギリスGⅠ制覇となった素晴らしい子孫を残しています。

スペシャルウィークの最後

17年に及ぶ種牡馬生活をおくってきたスぺは2017年に引退し、故郷の日高牧場で余生を送ります。引退から翌年の2018年4月、馬房内で転倒している所を発見され、同日中に死亡が確認されました。実は、この4日前に放牧中の転倒で左腰を強打して経過観察中だったようです。

スペシャルウィークは素直で頑張り屋さん!アニメ第1期でスぺちゃんの活躍をチェックしよう

アニメ1期の主人公として描かれているスペシャルウィーク。素晴らしい功績はもちろんですが、人懐っこかったりレースにも前向きな姿勢から多くの人たちに愛されてきたことでしょう。体重増加や生みの親と育ての親のこと、同世代とのレースなどアニメでは史実をモチーフにした描写がたくさん登場します。ぜひウマ娘やスぺシャルウィークのことが気になった方はアニメやゲームに挑戦してみてくださいね。

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